極東アジアの政治・経済・外交・安全保障および歴史に関するブログです。
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国会の東京電力福島原発事故調査委員会による政治家への参考人聴取がいよいよ始まった。トップを切った海江田万里元経済産業相は直接的な批判は避けながらも、菅直人首相(当時)の言動により政府の事故対応や危機管理体制が混乱したことを明かした。菅氏はなお自らの非を認めようとしないが、その「独善」と「迷走」が今日のエネルギー政策をねじ曲げたことは次第に浮き彫りになりつつある。(坂本一之)
「大変大きな権限を持つので抑制的に使わなければいけない…」
海江田氏は、菅氏が福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)ら現場に直接連絡した行為を行き過ぎだったと認めた。今月14日の事故調に呼ばれた東電の勝俣恒久会長も菅氏の現場介入を「(現場が事故対応の)指揮を執るべきなのに(首相の)質問で時間がとられるのは、芳しいものではない」と批判している。
海江田氏は、事故発生後は官邸の中2階にいて、首相執務室がある5階にいた菅氏と分かれて指揮を執り、意思疎通が図れなくなったことも認めた。官邸では非常事態に対応する際、地下にある危機管理センターを指令系統の中枢とするが、東日本大震災の対応でセンターの収容能力を超えたこともあり、別の場所で事故対応したことが混乱に拍車をかけたようだ。
また、政府は地震発生当日の午後7時3分に原子力災害対策特別措置法に基づく「原子力緊急事態宣言」を発令した。ところが第1原発1~4号機の非常用電源が津波で喪失したのは同午後3時42分。宣言発令が3時間半近く遅れたことについても海江田氏は「首相の理解を得るのに時間がかかった」と述べた。
「原子力にメチャクチャ詳しい」と自負する菅氏だが、閣僚の報告や判断を信用せず、常に疑ってかかったことが対応の遅れや被害拡大を招いたと言っても過言ではない。司令塔として全体を俯瞰(ふかん)する人が官邸に誰もいなかったことも浮き彫りになった。
一方、海江田氏は、菅氏が事故発生翌日の12日朝に強行した第1原発の視察について、部屋が別々だったことを理由に「詳細な経緯を知らない」と言葉を濁した。ただ、菅氏が内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長を視察に同行させたことにより、技術的な専門家集団のトップである班目氏と経産省の協議が数時間中断したことは認めた。
菅氏が15日早朝に東電本店に乗り込んで激しく叱責し、東電側が「違和感を覚えた」とされる件については「初めて菅氏の演説を聞く人が違和感を持つのは当然だ」と皮肉を込めた。
九州電力玄海原発の再稼働をめぐり、菅氏に振り回されたことにも海江田氏は悔しさもにじませた。
玄海原発の再稼働延期は菅氏が昨年7月、再稼働の条件としてストレステスト導入を唐突に打ち出したことによるが、この決定により他の原発の再稼働まで困難になった。
海江田氏は「ストレステストは菅氏サイドから出た」と自らの関与を否定。当時の再稼働判断について「政府の中で反対の意見は表に出ていない。菅氏も6月7日の新成長戦略実現会議では再稼働に触れている」とも語り、脱原発による政権浮揚を狙った菅氏の単なる「思いつき」だったことをにおわせた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120518/plc12051800530002-n1.htm
海江田の証言をまとめると、「トップである菅が無能でバカで人の話を聞かず猜疑心の強いアホだったから対応の遅れや被害拡大を招いた!」と言うことでしょうか。 ヽ(´ー`)ノ
菅自身は英雄を気取っているようだが、これから国会事故調の調査が進み、菅も枝野もこれから参考人聴取される。 どうせ自己保身や責任転嫁の証言しか出ないとは思うが、それでもかなり窮地に追い込まれるだろう。
国会事故調の調査報告がまとまれば、国会での証人喚問は避けられない。
やはり、事故の全容を解明し反省すべきは反省し、罰すべきものがあれば罰す。 疑問が残るような有耶無耶な幕引きなどあってはならない。 今の政治不信を部分的に払拭するためにも徹底した責任追及ならびにその処罰が不可欠ではないか。 ヽ(´ー`)ノ