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極東アジアの政治・経済・外交・安全保障および歴史に関するブログです。

   


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中川昭一さん、安らかに・・・
「タカ派」の代表格=麻生、安倍両氏の盟友-中川氏足跡

 自民党の中川昭一元財務・金融相は、直言実行タイプの「タカ派」論客で知られた。ただ、発言が物議を醸したり、飲酒による体調不良の問題が指摘されたりすることも少なくなかった。落選した先の衆院選後、周囲から再起を促す意見も出る中、突然の死去となった。

 中川氏は1983年1月、父の中川一郎元農林水産相の急死を受け、勤めていた日本興業銀行を退職、同年12月の衆院選で政界に転身した。弱冠30歳だった。後継をめぐり、一郎氏の秘書だった鈴木宗男新党大地代表と骨肉の争いを繰り広げたのは有名で、自民党でもライバル関係は続いた。

 政界では農政通として知られ、初入閣も小渕内閣の農水相だった。小泉内閣以降は経済産業相や自民党政調会長など、ほぼ一貫して内閣と党の要職に起用される。

 経産相当時は、メキシコなどとの自由貿易協定(FTA)締結などに尽力。日中間の懸案である東シナ海のガス田開発では、中国の反発を覚悟で国内開発業者に試掘権を与えるなど、強硬姿勢で臨んだ。党政調会長当時の2006年には、核武装の議論を容認する発言をして波紋を広げる。

 拉致議連会長や、歴史教科書問題に取り組んだ「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表を務め、07年11月には、平沼赳夫元経産相らと「真・保守政策研究会」を旗揚げした。思想信条が近い安倍晋三元首相、麻生太郎前首相とは長年の盟友関係にあった。

 麻生内閣では安倍氏、甘利明前行政改革担当相、菅義偉元総務相とともに、首相の側近グループを形成。4氏の名前の頭文字を取って「NASA」と呼ばれ、麻生氏の衆院解散判断にも影響を与えた。

 所属する伊吹派内では、将来の総裁候補との声も上がっていたが、今年2月、ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見にもうろうとした状態で臨んだことが批判され、引責辞任。衆院選では北海道11区で民主党候補に敗れ、比例復活もかなわなかった。

 地元支持者からは「来年夏の参院選出馬を模索すべきだ」との声も出ていたが、同僚議員は「精神的に参っていた」と中川氏の心中を代弁した。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=
2009100400197

特亜に対して、言うべきことが言える数少ない保守政治家だったので残念でなりません。

時としてふてぶてしく見える態度とは別に、実際はとても優しく・繊細で・勤勉な人だったそうです。

引用ここから =====

中川昭一氏の功績など

・中川氏は、農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。

・中川氏は、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。

・中川氏は、政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。

・中川氏は、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

・中川氏は、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。

・中川氏は、毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。

・中川氏は、非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。

・中川氏は、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」
「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

・中川氏は、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

・中川氏は、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための
議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

・中川氏は、郵政解散後の造反組リーダーであった平沼赳夫とは銀行員時代から兄弟のような間柄で、
郵政民営化には賛成ながらも、造反組には半ば同情的だった。

・中川氏は、政界きっての親台派として知られている。農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられている。今回の辞任についても、台湾メディアは同情的である。

・中川氏は、2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたってのまとめ役となった。

===== まで

アルコールへの依存さえ克服できていたならば、若き総理総裁になっていたかも知れません。もしそうなっていれば、日本は大きく変わっていたことでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。
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